コロナ禍で新年を迎え、昨年からの不安な日々が続きます。不安と一言で言っても、感染に対する不安だけではなく、これまで何事もなく続けてきた生活を変えざるを得ない不安など、様々なものがみられます。そのような不安とどう向き合っていったらよいでしょうか。
感染に対する不安に対しては、感染経路が喉から気管・肺へ侵入するもの、鼻・口や目の粘膜から侵入するものの2系統ということをしっかり覚えて、それをブロックしているという“実感”を持って生活しましょう。それにはマスクの着用と、飲食などでマスクを外した時に手指で顔を触らない、という2点が重要です。またお店などの密な空間から出るときにこそ、手指の消毒が大切です。
さて、次に私たちの普段の生活に目を向けてみましょう。コロナ禍の中で、いろいろな変化がみられます。リモートワークやリモート講義、また旅行や外出、親しい人との会合の制限などがありますが、振り返ってみれば“仕方なく”そのような変化を受け入れている自分に気づきます。しかし時にはこの不自由さがいつまで続くのだろう、と思うこともあるでしょう。それに伴って不安になったり憂うつになったり、という気持ちも生まれます。しかし先を知って安心しようとしたり、あえて楽観的な気持ちを持とうとしても、それは難しいことです。
私が専門にしている森田療法では「不安常住」という言葉を使って、人は不安とともに生きるといいます。不安をなくそうとすると心の悪循環が働いて、一層不安がつのります。そこで不安はあるがままにして、自分の感性に心を向けましょう。やりたい、見たい、行きたい・・・といったことを感じたら、コロナ禍の制約の範囲で実際に動いてみると、心も流動していきます。不安に固着した心が動くことはとても大切です。コロナ禍での制約があっても、その範囲で自分らしくやっていく、コロナ禍で生きる私たちの眼の向けどころはそこにあります。
(著者:東急病院心療内科 健康管理センター所長 伊藤 克人)